アーカイブ(1)冬の京都旅@2006.1 [アーカイブ]
このところ、サイドバーでも表記してるように”旅”に相当する外出がなかなか無いので、空きの多い期間はアーカイブとして、過去の旅を写真を交えてつづっていきます。
今回は、2006年1月の正月休みに日帰りで行った京都・洛西の旅・・・
国宝・弥勒菩薩像で知られる広隆寺、広大な庭園のある仁和寺などを訪れました。
往路、一般的には京都駅で下車するんですがこの日は、京阪の軌道線に乗りたかった事もあって、石山から石山坂本線に乗り浜大津で乗り換え、ここから京都市地下鉄に乗り入れる小ぶりな4両編成の地下鉄車両で京都市内へ向かいます・・・
注目は浜大津から一旦、道路上の併用軌道をゆっくり走行・・・数百mで専用軌道に入りますがその切り替え地点↓

国内でも数少ない併用軌道の”珍風景”ですが、かつての名鉄の犬山橋、今なお存在する熊本電鉄にもこのように道路上を標準車両が走る光景がありましたね。
電車はその後、地下鉄東西線に入り、御池でバスに乗り換え太秦で下車・・・広隆寺にまいります。

以前購入したお守りを納札するのと、弥勒菩薩像を拝むため今回が2度目の訪問・・・境内は好天と相まってスッキリした風情です。
建立の祖・聖徳太子ゆかりの太子殿・・・

そして、国宝第一号でもある弥勒菩薩像をはじめ様々な仏像を見学しました。
広隆寺からは、目の前の太秦広隆寺駅より京福電車(嵐電)に乗り帷子ノ辻で乗り換え、
ここから乗った北野線の電車・・・昭和30年代製の貴重なレトロ電車に遭遇!当時でも珍しい存在でしたが今も走り続けているか、気になりますね(↓御室駅(現:御室仁和寺)にて)
世界遺産にも指定されてる仁和寺へ・・・ここの魅力は広大な庭園を中心に、様々なお堂が配置されているところです。
(仁王門)

書院から眺める庭園・・・枯山水の整然とした石敷きが印象的でした。


時間も夕方近くになり、名刹巡りはこれだけとなりましたが(そもそも出発時間が遅かったのが要因w)
京都の魅力は自分なりに充分、味わえたと感じましたか・・・
仁和寺の帰り道、常盤御池町付近にあった銭湯・・・通りがかっただけでしたが、レトロな味わいのある佇まいでしたね。
今回は、2006年1月の正月休みに日帰りで行った京都・洛西の旅・・・
国宝・弥勒菩薩像で知られる広隆寺、広大な庭園のある仁和寺などを訪れました。
往路、一般的には京都駅で下車するんですがこの日は、京阪の軌道線に乗りたかった事もあって、石山から石山坂本線に乗り浜大津で乗り換え、ここから京都市地下鉄に乗り入れる小ぶりな4両編成の地下鉄車両で京都市内へ向かいます・・・
注目は浜大津から一旦、道路上の併用軌道をゆっくり走行・・・数百mで専用軌道に入りますがその切り替え地点↓

国内でも数少ない併用軌道の”珍風景”ですが、かつての名鉄の犬山橋、今なお存在する熊本電鉄にもこのように道路上を標準車両が走る光景がありましたね。
電車はその後、地下鉄東西線に入り、御池でバスに乗り換え太秦で下車・・・広隆寺にまいります。

以前購入したお守りを納札するのと、弥勒菩薩像を拝むため今回が2度目の訪問・・・境内は好天と相まってスッキリした風情です。
建立の祖・聖徳太子ゆかりの太子殿・・・
そして、国宝第一号でもある弥勒菩薩像をはじめ様々な仏像を見学しました。
広隆寺からは、目の前の太秦広隆寺駅より京福電車(嵐電)に乗り帷子ノ辻で乗り換え、
ここから乗った北野線の電車・・・昭和30年代製の貴重なレトロ電車に遭遇!当時でも珍しい存在でしたが今も走り続けているか、気になりますね(↓御室駅(現:御室仁和寺)にて)

世界遺産にも指定されてる仁和寺へ・・・ここの魅力は広大な庭園を中心に、様々なお堂が配置されているところです。
(仁王門)
書院から眺める庭園・・・枯山水の整然とした石敷きが印象的でした。

時間も夕方近くになり、名刹巡りはこれだけとなりましたが(そもそも出発時間が遅かったのが要因w)
京都の魅力は自分なりに充分、味わえたと感じましたか・・・
仁和寺の帰り道、常盤御池町付近にあった銭湯・・・通りがかっただけでしたが、レトロな味わいのある佇まいでしたね。
アキーロの鉄道写真館(18)明治村のSL [アーカイブ]
鉄道写真館も18回目・・・今回は再び時を進め昨年('07年4月)行った「明治村」内を走ってるSL「9号機関車」です・・。
ご存知のように明治村は、明治~大正期の建造物を移築、復元した”野外博物館”・・・入鹿池に臨むかなり広い敷地に点在して、見て回るのに丸一日かかるほどです。この時は4月なので、新緑も鮮やかな景色でしたね・・。
そんな中を、明治時代の乗り物「京都市電」と「SL列車」が短い区間を往復運転して、つかの間のタイムトリップを味わせてくれますが、そのうちのSL列車を牽引する「9号機関車」の写真です・・・。
現在2両の機関車が稼動中で、写真の9号は1912年、米BLW社製造で輸入後は富士身延鉄道(現身延線)、日本鋼管鶴見工場で活躍後、明治村へやって来ました・・・。「9号」とは日本鋼管時代の番号です。
運転は、木造の2両の客車(これは1912年製)を牽引、SLなので折り返しは今は珍しい「ターンテーブル」で方向転換します。
ターンテーブルで転換中の9号機関車

折り返してプラットホームへ・・・

客車へ連結・・・ちなみに右の人物は”軍人”ではなく、SL運転の作業員です(笑)

ただ、写真はちょっとピンぼけてしまいましたがm(_ _)m・・・運行に携わる係の人はすべて年配の人で、SLの経験者かどうかは分かりませんが、キビキビと働いてましたね・・・。
明治村は実は、家から車で20分ほどの近くにあって、これまでにも学校の遠足等で3回ほど行った事があります・・・。なじみの場所ですが、最近は「宵の明治村」という夏期限定の夜間営業(入場料が値下げ!)や、懐かしの食べ物等もあって趣向を凝らしたイベントも盛んに行われてます・・・。
(次回は明治村の「京都市電」)・・・★明治村HP
ご存知のように明治村は、明治~大正期の建造物を移築、復元した”野外博物館”・・・入鹿池に臨むかなり広い敷地に点在して、見て回るのに丸一日かかるほどです。この時は4月なので、新緑も鮮やかな景色でしたね・・。
そんな中を、明治時代の乗り物「京都市電」と「SL列車」が短い区間を往復運転して、つかの間のタイムトリップを味わせてくれますが、そのうちのSL列車を牽引する「9号機関車」の写真です・・・。
現在2両の機関車が稼動中で、写真の9号は1912年、米BLW社製造で輸入後は富士身延鉄道(現身延線)、日本鋼管鶴見工場で活躍後、明治村へやって来ました・・・。「9号」とは日本鋼管時代の番号です。
運転は、木造の2両の客車(これは1912年製)を牽引、SLなので折り返しは今は珍しい「ターンテーブル」で方向転換します。
ターンテーブルで転換中の9号機関車
折り返してプラットホームへ・・・
客車へ連結・・・ちなみに右の人物は”軍人”ではなく、SL運転の作業員です(笑)
ただ、写真はちょっとピンぼけてしまいましたがm(_ _)m・・・運行に携わる係の人はすべて年配の人で、SLの経験者かどうかは分かりませんが、キビキビと働いてましたね・・・。
明治村は実は、家から車で20分ほどの近くにあって、これまでにも学校の遠足等で3回ほど行った事があります・・・。なじみの場所ですが、最近は「宵の明治村」という夏期限定の夜間営業(入場料が値下げ!)や、懐かしの食べ物等もあって趣向を凝らしたイベントも盛んに行われてます・・・。
(次回は明治村の「京都市電」)・・・★明治村HP
アキーロの鉄道写真館(17)東急世田谷線 [アーカイブ]
今回は歳月をさかのぼって・・・99年に撮影した都内を走る、都電荒川線に次ぐ路面電車・・・東急世田谷線の写真です。
99年の3月、当時静岡に住んでいたため日帰りで、この年スタートしたサッカーJ2リーグのFC東京対アルビレックス新潟戦(西が丘競技場)を観に行った帰りに、下高井戸から乗車しました。
世田谷線は三軒茶屋~下高井戸間5.1kmの、全線世田谷区内を走る路線でローステップ(乗降口が低位置)の”路面電車”ですが、路線のほとんどが専用軌道(普通の砂利の上の線路)を走ります。1969年に廃止された玉川線(渋谷~二子玉川園、通称”玉電”)の支線だったんですが、こちらも、都電荒川線と同じ路面区間が少なく独立した路線だった事もあって廃止は免れ、現在に至ります・・・。
写真の99年3月は、まだ旧型車両(デハ70、80形)が活躍!現在はLRT仕様の最新型連接車両が走っているらしく・・・転換前の貴重な写真です・・・。
宮の坂駅のデハ70形

同じく宮の坂駅にて・・

宮の坂駅横の、旧デハ87形(玉川線、江ノ電で活躍)静態保存
99年の3月、当時静岡に住んでいたため日帰りで、この年スタートしたサッカーJ2リーグのFC東京対アルビレックス新潟戦(西が丘競技場)を観に行った帰りに、下高井戸から乗車しました。
世田谷線は三軒茶屋~下高井戸間5.1kmの、全線世田谷区内を走る路線でローステップ(乗降口が低位置)の”路面電車”ですが、路線のほとんどが専用軌道(普通の砂利の上の線路)を走ります。1969年に廃止された玉川線(渋谷~二子玉川園、通称”玉電”)の支線だったんですが、こちらも、都電荒川線と同じ路面区間が少なく独立した路線だった事もあって廃止は免れ、現在に至ります・・・。
写真の99年3月は、まだ旧型車両(デハ70、80形)が活躍!現在はLRT仕様の最新型連接車両が走っているらしく・・・転換前の貴重な写真です・・・。
宮の坂駅のデハ70形

同じく宮の坂駅にて・・

宮の坂駅横の、旧デハ87形(玉川線、江ノ電で活躍)静態保存
アキーロの鉄道写真館(16)豊橋の路面電車 [アーカイブ]
久々の写真館となりましたが、今回は東海唯一の路面電車「豊橋鉄道・市内線」です。
2005年に岐阜の名鉄岐阜市内線、揖斐線、美濃町線等が廃止され、名実共に東海地区ではただ一つ残るのみとなりました・・・。
豊橋駅前のデッキ下の乗り場から、国道一号線上などを経由(国一上を走るのもここだけ)東へ、赤岩口までの4.8kmの区間と井原~運動場前の支線0.6km・・・コンパクトな路線ですが市民の足として、また観光資源としても整備、保存に力を入れて元気に活躍しています・・。
ここを訪れたのはもう20年以上前になり、その後も何度か乗車しましたが架線柱や路面敷もレトロ風に整備、駅前の停留所の移転と路線延長もあり、見栄えのいい路面電車になりつつある感じですね・・。他社からの電車投入もあり以前は部分的だった車体広告がカラフルなラッピング広告に変わったりと変化もありましたね・・。
写真は2006年12月10日に雨の中、赤岩口まで往復乗車して撮影しました(JPEGファイル)
左・旧名鉄800形、右、旧東京都電3500形

左・3200形(昭和30年製の現役最古参) 右・赤岩口車庫での電車群


乗車には、一日乗車券(400円)が便利、沿線には市公会堂、美術館などがあります。
★豊橋鉄道HP
2005年に岐阜の名鉄岐阜市内線、揖斐線、美濃町線等が廃止され、名実共に東海地区ではただ一つ残るのみとなりました・・・。
豊橋駅前のデッキ下の乗り場から、国道一号線上などを経由(国一上を走るのもここだけ)東へ、赤岩口までの4.8kmの区間と井原~運動場前の支線0.6km・・・コンパクトな路線ですが市民の足として、また観光資源としても整備、保存に力を入れて元気に活躍しています・・。
ここを訪れたのはもう20年以上前になり、その後も何度か乗車しましたが架線柱や路面敷もレトロ風に整備、駅前の停留所の移転と路線延長もあり、見栄えのいい路面電車になりつつある感じですね・・。他社からの電車投入もあり以前は部分的だった車体広告がカラフルなラッピング広告に変わったりと変化もありましたね・・。
写真は2006年12月10日に雨の中、赤岩口まで往復乗車して撮影しました(JPEGファイル)
左・旧名鉄800形、右、旧東京都電3500形
左・3200形(昭和30年製の現役最古参) 右・赤岩口車庫での電車群
乗車には、一日乗車券(400円)が便利、沿線には市公会堂、美術館などがあります。
★豊橋鉄道HP
アキーロの鉄道写真館(15)金沢のローカル電車 [アーカイブ]
2006年10月に古都・金沢へ観光旅行に行きましたが、その時時間があって乗ったのが、北陸鉄道石川線の電車です。
金沢城など見て回って一泊後、武家屋敷など観てからの午後、歩いて犀川大橋を渡ってにし茶屋街へ・・・その少し南に石川線の始発、野町駅があります。
市街地から離れ、ローカル私鉄という事もあって駅はまさに閑散・・・数人しかいないのんびりとした駅で、しばらく待ってから来た電車に乗りましたが、車両は最近地方に増える傾向にあるステンレス、車内はロングシートでした・・・かつての旧型鉄鋼製車両はここでも見られなくなったようです・・。
時間が無い事もあって2駅先の新西金沢まで乗車、ここで徒歩すぐのJR西金沢から金沢駅へ戻りました・・。
北陸鉄道は現在は石川県下のバス中心の交通企業で、鉄道は金名線(野町~加賀一の宮)と浅野川線(北鉄金沢~内灘)の2線のみ・・・かつては加賀平野の扇状地を走っていた能美線、小松線、能登半島の付け根・羽咋から北に伸びていた非電化の能登線、加賀温泉郷の粟津、山中線などのアクセス線群、それに金沢の路面電車・金沢市内線、金石線など・・・石川県内に路線網をしいていましたが、それらの線は1970年代にモータリゼーションの波でほとんど廃止されました。
石川線もかつては加賀一の宮から先、白山下まで伸びていましたね・・・今残る二つの線は、観光スポットからはかけ離れていますが、地元の足としてこれからも働き続けてほしいものです・・・。


2枚とも、北鉄新西金沢駅にて撮影('06.10.8)
金沢城など見て回って一泊後、武家屋敷など観てからの午後、歩いて犀川大橋を渡ってにし茶屋街へ・・・その少し南に石川線の始発、野町駅があります。
市街地から離れ、ローカル私鉄という事もあって駅はまさに閑散・・・数人しかいないのんびりとした駅で、しばらく待ってから来た電車に乗りましたが、車両は最近地方に増える傾向にあるステンレス、車内はロングシートでした・・・かつての旧型鉄鋼製車両はここでも見られなくなったようです・・。
時間が無い事もあって2駅先の新西金沢まで乗車、ここで徒歩すぐのJR西金沢から金沢駅へ戻りました・・。
北陸鉄道は現在は石川県下のバス中心の交通企業で、鉄道は金名線(野町~加賀一の宮)と浅野川線(北鉄金沢~内灘)の2線のみ・・・かつては加賀平野の扇状地を走っていた能美線、小松線、能登半島の付け根・羽咋から北に伸びていた非電化の能登線、加賀温泉郷の粟津、山中線などのアクセス線群、それに金沢の路面電車・金沢市内線、金石線など・・・石川県内に路線網をしいていましたが、それらの線は1970年代にモータリゼーションの波でほとんど廃止されました。
石川線もかつては加賀一の宮から先、白山下まで伸びていましたね・・・今残る二つの線は、観光スポットからはかけ離れていますが、地元の足としてこれからも働き続けてほしいものです・・・。


2枚とも、北鉄新西金沢駅にて撮影('06.10.8)
アキーロの鉄道写真館(14)短命のピーチライナー [アーカイブ]
2006年9月、この月末で廃止された桃花台新交通「ピーチライナー」の写真です。
東海地区の始めての新交通システム、新興住宅地の桃花台ニュータウンの足として小牧駅(名鉄)~桃花台東間に1991年に開通、この時にニュータウンの落成を祝ってイベントが行われてたのでこの時、初めて乗車しましたね。この時はここのエリアの住民になるとは思っていなかったんですが・・・翌年末に引っ越してからは終点の桃花台東駅が”最寄り駅”となり、しょっちゅう利用するはめになりました。
この線は新交通の中では珍しいセンターガイド(中央に集電レール)がある路線、モノレールのような感覚と乗り心地の列車でしたが・・・
3年前に累積赤字の進行が嵩み、運行会社の経営主である愛知県の判断で2006年9月末をもって廃止となりました・・・。名古屋への足としては接続する名鉄小牧線が上飯田止まりで名古屋市地下鉄の連絡が悪く(2003年に地下鉄上飯田線開通で平安通で接続)利用者が増えなかったのが原因という事で・・・県の収入見通しの甘さもありましたね~。新交通システムとしては全国初の廃止路線・・・何とも不名誉な短い(15年)運命の路線でした・・。
写真は終点・桃花台東のホームから撮った列車・・・終点で、運転台が片方しかないので、この先のループ線(下写真)で折り返して逆方向に向かいます(逆推進運転もあり)ループ線はかなり空中気味の高架で壮観な風景で「中部の駅百選」にも選ばれました。
今現在、列車は走って無くても先のループ線と全ての高架線、駅(シャッターは閉鎖)等は全く取り壊されず残ってます。何でも撤去費用だけで20億円近くかかるとか・・・”無駄遣い”で終わってしまったのは残念ですね・・・。

東海地区の始めての新交通システム、新興住宅地の桃花台ニュータウンの足として小牧駅(名鉄)~桃花台東間に1991年に開通、この時にニュータウンの落成を祝ってイベントが行われてたのでこの時、初めて乗車しましたね。この時はここのエリアの住民になるとは思っていなかったんですが・・・翌年末に引っ越してからは終点の桃花台東駅が”最寄り駅”となり、しょっちゅう利用するはめになりました。
この線は新交通の中では珍しいセンターガイド(中央に集電レール)がある路線、モノレールのような感覚と乗り心地の列車でしたが・・・
3年前に累積赤字の進行が嵩み、運行会社の経営主である愛知県の判断で2006年9月末をもって廃止となりました・・・。名古屋への足としては接続する名鉄小牧線が上飯田止まりで名古屋市地下鉄の連絡が悪く(2003年に地下鉄上飯田線開通で平安通で接続)利用者が増えなかったのが原因という事で・・・県の収入見通しの甘さもありましたね~。新交通システムとしては全国初の廃止路線・・・何とも不名誉な短い(15年)運命の路線でした・・。
写真は終点・桃花台東のホームから撮った列車・・・終点で、運転台が片方しかないので、この先のループ線(下写真)で折り返して逆方向に向かいます(逆推進運転もあり)ループ線はかなり空中気味の高架で壮観な風景で「中部の駅百選」にも選ばれました。
今現在、列車は走って無くても先のループ線と全ての高架線、駅(シャッターは閉鎖)等は全く取り壊されず残ってます。何でも撤去費用だけで20億円近くかかるとか・・・”無駄遣い”で終わってしまったのは残念ですね・・・。









